国立民族学博物館応募書類 主な研究業績の概要

武蔵野美術大学在学中に宮本常一先生指導のもと、生活文化研究会に所属し、埼玉県秩父市の蕨沢岩陰遺跡を発掘した。岩陰の利用の観点から沖縄の風葬を1ヶ月に渡り調査をし、続く竹富島の集落墓の調査につながった。『アイヌの民具』の刊行のため1ヶ月間民具の実測を行う。縄文時代の調査、沖縄とアイヌ調査を通じて文化を重層的にみるようになり、国内民族学の視点の素地ができた。その後、建築学科の学生であったため卒業制作に二風谷の村落計画「コタンとイオル」を制作した。梅棹忠夫氏の生態学的調査方法の文献に基づき文化のクライマックスの観点をコンセプトの骨子にした。 筑波大学大学院環境科学研究科に進学し、川喜田二郎先生の指導を受ける。岩手県岩泉町安家、遠野市の調査を行う。コミュ二ティ調査をおこない、山地民という国内民族学の立場から共同活動の諸相を探った。そこで、救慌食のワラビの地下茎の重要性に気づいた。実相が知りたく高山市高根町でワラビの地下茎採取活動の調査を行った。鳥浜貝塚の発掘調査に参加する。国内民族学を層位的に明らかにするため民族考古学の立場から考察を深めた。 考古学の立場から考えてみると縄文中期農耕の主食には、各種の植物が取り上げられてきた。ここでは、ワラビの地下茎が主食であることをカリント状炭化物の同定とパン状炭化物とカロリー計算を通して指摘し、ワラビの地下茎採取活動が根茎類採取文化であり農耕の起源にあたるのでないかという問題を提出した。すなわち、縄文中期農耕が日本における農耕の起源にあたるという試論である。この取り組みは、民族考古学という学問の方法論を検討する試みでもある。   カリントウ状炭化物がワラビの地下茎であることを同定した。遺物は長野県富士見町机原遺跡から出土し、縄文時代前期後葉諸磯期のものである。ここで現生ワラビと遺物を比較する。遺物の中央にひも状の物体が見える。これが現生ワラビの厚状網膜と同一である。これを同定の根拠にした       井戸尻遺跡から検出されているパン状炭化物は、飛騨地方の食習慣であるわらび餅と酷似している。断面が密であり餅状を呈していることなど酷似している。以上の民俗事例とワラビの地下茎の出土事例からパン状炭化物はワラビ澱粉である蓋然性が極めて高い。澱粉分析を行なう必要があろう。  縄文時代中期が日本における農耕の起源ではないだろうか。ワラビの地下茎採取は、縄文期においては3条件を満たし文化層として成立する可能性が高いうえに、農耕の技術の点でも基本技術を満たす可能性が高く、極めて栽培技術に近い、安定した高度自然採取である。現行の1日の夫婦生産力である10kgワラビ粉澱粉のカロリー数は28900カロリーであり、稼働日数を75日とすれば年間の総カロリーは2167500㌍であり、十分主食たりえる。縄文時代中期農耕は、縄文時代においても地下茎の発見と地下茎の大量利用、土掘り具としての打製石斧の増加などから根茎類採取利用段階といえ、また、パン状炭化物や土器造形に見られるように文化の高いレベルを示しており、これらに文化層の成立と採取方法とを考え合わせれば自然採取のクライマックス=農耕のきげんといえるのではなかろうか。 文化の活用に対する考察を深めている。文化の価値に注目し、新しい文化の創生による文化の再生を地域活性化の核にする試みである。文化の価値が再評価され、文化を評価する評価軸が数多く議論される研究を目指している。経済に多種多様な付加価値がつき経済が大きくなり、文化も発展し、文化の新しい価値を見いだし、差別の解消という、文化の持つ人間愛の醸成を併せ持つことによる文化国家日本の創生を目指している。    伝統的山村文化から生まれた新産業であるわらび粉生産の会社設立は、伝統産業の再生であり、村人の雇用をもたらして新しい文化の活用をもたらした。文化の価値に注目した、文化の創生を地域活性化の核にする試みである。 アイヌ社会自立のために核となるアイヌ美術・工芸の振興のために京橋にギャラリーを開廊した。結果、経済産業省の伝統的工芸品の指定を受け、また、北海道立近代美術館においてアイヌ美術・工芸展開催に結びついた。若者にも伝わり文化の継承がうまくいっている。 社会の闇の原因である国内民族学の対象である差別を文化の人間愛の立場から解消を目指した。社会の闇の原因である民族的、歴史的な問題を越えて信じ合える社会を作るために、反省によって当事者間が社会的存在になり、お互いを認識し合うことである。 日本橋三越と協力して新しい文化の創生により経済への価値付けを行い、文化による、消費という経済を大きくするという実践的取り組みを行っている。文化研究の活用である。

杉山是清