実践民俗学 1 – 民俗文化復活の現在的意味 –

私は今、わらび根掘りの民俗文化の復活に取り組んでいる。

消失した民俗文化を現代的解釈において蘇らせようとしている。わらび根掘りの論文をまとめたがその文化が消えてしまってはなんのための論文だかわからなくなったからである。学者として民俗文化の復活を試み、学問・文化の活用と実業の社会との架け橋になろうとしている。

学問なら誰にでもできる、でもこれを特に文化系において実業の世界と結びつけるのは難しい。学問の成果を利用し、営業もし、ブロカーもし、商売として成り立たせない限り、民俗文化を継承できないからである。京橋という商業地に生まれ、学問を志した人間にとって実業の世界との結び付くことは、単なる学問にはとらわれず、学問文化を社会、経済、消費との関わりの中で捉えることである。今の学問と実業の世界は、文化系においてはかけ離れている。学問の孤立化である。学問の成果を実業の世界、社会に援用するための人材作りと研究所などのシステム作りが望まれる。国立歴史民俗博物館、国立民族学博物館にはそちらにも目をやって欲しい。宮本先生は山村振興法や離島振興法を、川喜田先生はヒマラヤ技術協力などに尽力された。

私が学問と実業の世界、社会との関わりを考えるきっかけになったのは、20年間の裁判である。バブル経済華やかな頃、京橋の地で地上げに遭い、その後の家業のハンドバッグ製造販売継承により学問から一時離れた。裁判に勝利し、バブルをはじき、金融国家への移行をすんでのところで阻止した。その後の15年間、大手町などを始めとする日本の心臓部を歩き回り、今迄日本の僻地を歩き回っていたことの意味を問い直した。地方と中央の結び付きのあり方、そのための学問のあり方について考え、文化に対する考察を深めた。その結果が学問・文化の社会・経済への還元である。学問・文化活用による経済・社会の浮上である。実業の世界には政治献金よりも学問・文化・地方への投資、寄付をお願いしたい。国はこれらの投資、寄付を促すために税制の改革や助成金、褒賞などきめ細かな施策で誘導して欲しい。学問はこれに応えるため、社会、経済に貢献できる学問の成果を積み重ねてほしい。これによって相互の理解が進み、純学問的成果にも目が向けらるだろう。これらの文化・学問への施策、投資からGDPを2倍にする目標を立てるのはどうだろうか。あらゆる文化に注目して日本のサービスなどのソフトの振興や輸出などによって、ハードな生産製造産業GDPと比較して同額のGDPを生み出せるだせるかもしれない。

具体例として、飛騨のわらび粉を復活させたことと中世からの共有牧野の復活の計画をあげる。古くからわらび粉といえば飛騨が名産地だった。今から20年前、わらび根掘りの余りの過酷さに後継者がいなくなり絶えてしまった。これを文化継承の意味から復活を試みている。手掘りはバックホーに替え、水車はランパーに替えた。機械化したが、掘り方の勘どころや搗き方の原理はそのままである。文化継承は押さえてある。これにかかる人件費、施設費などの諸経費は立て替えている。今年度から本格的に稼働し、7日間かけて、10kgのわらび粉を生産した。取り引きは京都の菓匠会などの和菓子屋と行なっている。高価なため御茶席で使う高級な和菓子に利用されている。室町時代からの和菓子屋さんなどをまわり、手紙を書き、お訪ねし、サンプルを置いてきた。実際に伝統的調理方法をお教えし、新作制作のアドバイスもした。肝心の値段交渉はこれからであるが、希少価値ゆえ売り手市場なので強気にいきたい。駆け引きより、学問で培った誠実さと粘り强さを商売の信条にしたい。現在、2件の話しがまとまった。今も話し合が続いている。また、味の素や製薬会社から食品る、薬としての利用の引き合いがきている。わらび縄には造園新聞が関心を示している。学問を深めれば実業の世界ともきっと組めるだろう。営業もできるし、ブロカーもできる。視野を広く保ちながら学問を深めて欲しい。

これらの活動は、地元の人の協力の賜物である。地元のNPO法人に正会員として加わりいろいろな地域振興に力を貸している。復活を若い人が喜んでくれているのが嬉しい。きっと若い人が山村にもどり、文化を核にした地域活性化を担ってくれるだろう。飛騨のわらび粉を飛騨牛と並ぶ飛騨の2大産業にしたい。このような数多くの地道な地域振興策の取り組みがない限り内需拡大は遠い。道の駅に民俗資料館を併設し、日本橋三越の展示を見習うのもいいだろう。

民俗学徒、文化人類学徒が地域に一番お世話になっているのではないだろうか、感傷に浸っている場合ではない。学問を深め、何ができるか考えて活動しよう。今こそ出番で地域振興に尽くそう。

 

杉山是清  John