今西錦司さんと高山市日和田の牧坂商店

 

 今西さんの飛騨での定宿は岐阜県高山市高根町日和田の牧坂商店だった。今西さんが『山岳省察』に日和田のわらび根掘りの記載があるので川喜田二郎先生の紹介で上賀茂の自宅にお邪魔してお話しを伺うと小さな声で「牧坂商店はまだあるか?」と尋ねられた。ばつが悪そうだった。

 宿をしてたのは牧坂商店の先先代の牧坂松太郎さん、自宅に登山家や学生を無料で宿代も取らず、食わせて寝かせていた。今西さんもその中の一人だったんだろう。牧坂意和子さんがおじいさんのことを語る。世話になった登山家たちや山の愛好家、山岳部は日和田や山村を見捨てず振興の手助けをして欲しい。

 興が乗って、今西さんが飛騨の20万分の1の地図を出して来られた。真っ赤だった。自分の登った登山ルートに赤鉛筆で線を引いていた。自慢気に「山を日本で1番山を歩いたのはわしじゃが、平野を1番あるいたのは宮本さんじゃよ(宮本常一先生)」と仰った。今西さんと宮本先生は仲がよく、宮本先生の肝いりではじめた周防猿回しの会に一文を寄せている。

今西さんのところにおじゃましたのが宮本先生が亡くなってから数ヶ月後だったのでその話しをすると目を伏せていらした。

今西さんは岐阜大の学長になられ高地研などを作られ山村地域の発展に貢献された。飛騨に対する贖罪の意味もあったのではないだろうか?愛を感じる。

今西さんの後を引き継ぐ。