日本文化藝術財団 創造する伝統賞 企画書

 

わらび縄は日本の古い縄である。わらびの地下茎から作られ『明治前期産業発達資料』によると明治前期には日本の山村の至る所でつくられていた。いまでは、岐阜県高山市高根町日和田が最後の技術伝承地になっている。80歳の古老がなったこのわらび縄が桂離宮の黒文字垣にとりつけられた。宮内庁御用達である。慶事である。限界集落の日和田の未来への希望であり、持続可能な山村という新しい社会創造が生んだ伝統追求の復活である。

 

庭園美の復活である。垣根には、遮るという結界の意味がある。心的意味である。わらび縄が使われる垣根としては桂離宮の黒文字垣、光悦垣、四目垣などがある。美しい垣根である。お茶席では関守石やわらび箒、枝折戸にわらび縄は使われて、お茶席の空間に山のコスモロジーを取り込み、一服のお茶に山の自然観を楽しんでいる。

わらび縄は山の土から生まれた生活造形である。山形県朝日村では死装束の脚絆にわらび縄を使っていた。信仰の意味があり、垣根の結界にもあらわれた心的な意味合いである。わらび縄は三陸沖のシビマグロ(クロマグロ)の漁に使われていた。山と海の繋がりである。山を代表するわらびと海の代表であるクロマグロという両環境のコスモロジーの出会いであり日本の環境利用を見事に表している。わらび縄が多く使われていたのが江戸期の廻船である。これも海との出会いである。水に強く、水を吸わず軽くて丈夫なため帆綱や錨綱に使われていた。

 

このようにわらび縄は、庭園の美や、お茶席や民俗的世界にみられるように環境観や心的な表現の文化である。山村復興にわらび縄製縄が果たしている役割を考えると、わらび縄の伝統文化復活が現代の持続可能な山村の新しい社会創造の契機となっている。桂離宮の御用は、わらび縄に対する美や文化からの価値づけを意味し、美や文化が山村復興という社会性を取り込んだことによって生まれた文化創造に息吹をもたらし、伝統追求による庭園美の復活である。

 

わらび縄復活を目指し、山村復興をもって桂離宮に続き修学院離宮、御所、二条城、神社仏閣、文化財のお庭の庭園美や伝統文化を復活させる計画である