寄付のお願い

文化国家日本研究所開設にあたって皆様方の寄付により研究、提案をおこなっていきます。
これには3つの目的があります。1つには、、幅広い文化を日本の経済に付加することで経済を大きくし、文化自体も振興していくことです。2つ目は寄付をいただいて文化国家日本研究所の日常の運営、研究プロジェクトなど一連の活動をまかなうことです。政治が極端に右傾化する中にあって広範な保守層の意見を幅広く聞くというなかで文化国家日本研究所の果たす役割は非常に大きくなるでしょう。
そのお金は厳格に管理され、通常の運営費に充当されます。
つきましては皆様方に御寄付をいただければ大層有難く存じます。
 寄付をいただいた方のお名前は明記します。日本の未来のためにもどうぞお力をお貸しくださいますようお願い申し上げます。

NHK総合にデビューです。!!!   日本の里山 「わらび育む山の牧場」が 4月5日(金)午前3時50分~4時までです。   録画してください!

NHK総合にデビューです。!!!   日本の里山「わらび育む山の牧場」が4月5日(金)午前3時50分~4時までです。   録画してください!

一般社団法人文化国家日本研究所は、ノーベル委員会よりノーベル平和賞ノミネート推薦団体に指定されました。当研究所の推薦があればノーベル平和賞にノミネートされます

 

一般社団法人文化国家日本研究所は、ノーベル委員会よりノーベル平和賞ノミネート推薦団体に指定されました。当研究所の推薦があればノーベル平和賞にノミネートされます

 

 

社会には日の当たる場所と日の当たらない陰の場所がある。陰の人々は貧困、差別に苦しみテロ、内戦、などの社会不安の原因になっていた。本推薦は日本において陰の人々をいかに解放し、生活水準の確保を目的として日の当たる場所に導き、社会不安を解消し平和をもたらすかを記している。少数民族であるロヒンギャ難民問題解決に通ずるモデルケースとなる取り組みである.

①アイヌ振興

②在日韓国朝鮮人問題、裁判、殺人未遂

③15年間かけたタクシー業界正常化、若い人の未来。

④銀座の飲み屋街の闇

⑤汚物佐川急便45年間の追撃、黒幕・西武スキャンダル

⑥山村振興

①アイヌ振興

少数民族が自らの文化興隆に立ちあがり、自国の文化と国力の増加を図るという気概を持ち、宗教、言語の尊重はもとより第一次産業、工芸などの文化振興から民族のアイデンティティを支え、少数民族の自立と国との共存共栄を図りながら経済発展につなげていく方途を私は探っている。

私財を投げうって少数民族であるアイヌの人々の文化興隆をギャラリー経営ではかり、また、暮らしにも目をやりギャラリーでアイヌの人々の収益を図ったり、数々の提案をしている。卒業制作が二風谷の イオル事業の施策化と、京橋のギャラリー経営が二風谷の工芸品を経産省の伝統的工芸品の指定に導いて、少数民族であるアイヌ文化の地である二風谷を勇気づけている。

アイヌ文化の振興が進みつつある。地道な取り組みが実をむすんでいる。伝統的工芸品の指定を受け、さらに北海道近代美術館でアイヌ美術工芸展が開催された。東京モーツァルトではここ8年間で年に5~6回アイヌ展が開かれている。若者がこぞって展示を行うようになり、文化の継承がうまくいっている。美術工芸が民族の核心になるだろう。二風谷では農林業と工芸が根付いている。林業経営の人材が育って欲しい。阿寒は、観光業である。一層の努力を。都市生活はどうだろうか。札幌は。?ここを何とかしたい。工芸の優位性を活かし職人としての訓練を国のマイスター制度主導で行い、高賃金を確保するのはどうだろうか。教育は?奨学金は出るようになったが、ここも工芸の優位性を鑑み美術工芸大学を誘致したらどうだろうか?デザイン、企画、商品開発などの知的産業が生まれるだろう。工芸の優位性を核にアイヌの未来を考えてみた。

和人ならアイヌの人々をなんとかしなければならない。厳しい差別と貧困に体制になじめなかったアイヌの人々は、今、徐々に心を開き始めている。日本に生まれたことを幸せと思えるような施策を一緒に考えたい。

渋沢敬三先生は、知里真志保を支え、分類アイヌ語辞典を完成させた。だから私は、武蔵野美術大学の分校を二風谷に作りたい。萱野茂さんの夢であり、私の卒業制作のアイディアでもある。シャモ(和人)がアイヌのことを考えたと萱野さんは、感慨深げだった。

ギャラリーモーツァルトを開いて8年目になる。アイヌの工芸品のために開いたギャラリーだ。大学は作れないが、作品の発表の場を東京に持つことはアイヌの人々にとって有意義だと思って建設した。30人位のアイヌの人が展示を行った。 成果がでている。経産省の伝統的工芸品に指定されたり、札幌の道立近代美術館でアイヌの美術工芸品展が開催された。何よりも若い人達が熱心である。継承がうまくいっている。アイヌ造形が民族の核になるだろう。文化保存活用への熱心さは和人も見習うべきだろう。結城幸司さんが5回展覧会を開き、評価が高まってきている。小淵沢のフィリア美術館で2ヶ月の展覧会が開かれた。アイヌの女性もギャラリーで雇った。アイヌの人達が自分達の力でギャラリー運営ができるようにと。

アイヌの人達と深い関わりを持つようになったのは萱野さんの『アイヌの民具』の刊行をお手伝いするために民具の実測図を描きに一ヶ月二風谷で合宿をした時からである。朝8時から夜中の12時まで描きまくった。考古学研究会に所属していたので狩猟採集民文化に夢中になった。建築学科の学生だったので卒業制作に二風谷の未来を図面化した。半年間二風谷のことを考えた。題は「コタンとイオル」である。二風谷に美術大学と博物館、住宅、道路、土地利用を考え、図面にした。狩猟採集民だったのでイオルというアイヌの人々の山利用の計画も考えた。アイヌの人々の造形的優位性ゆえに美術大学を村開発の中心に据え、工芸と農業と林業を生業とする村づくりである。狩猟採集から現代に適応する方途として美術と農林業を選択した。イオルは現在、イオル事業として実施されている施策であり、若い人が村に残ることができている。二風谷の人達が喜んでくれた。縁が深まった。

しかし、その後どちらも裁判沙汰になってしまった。二風谷は二風谷ダム建設で私の方は地上げで最高裁まで争った。これらのせいか二風谷の人達の気持ちはよくわかる。お互いが思いやれる。クラブツーリズムのツアーのお客様には二風谷ダムとアイヌ語学校をぜひ見て欲しい。

私の故郷、東京京橋にはアイヌ文化交流センターがある。二風谷に行き、萱野さんのお手伝いをし、半年かけて二風谷の卒業制作をやり、お互い裁判もやり、私の故郷京橋にアイヌのためのギャラリーを開き、交流センターもすぐそばにあると、アイヌの人々が身内のように感じる。厳しい差別だったなかでも僕のようなシャモ、シサムもいることを忘れないで欲しい。アイヌの民具実測図集が発刊された。相澤韶男先生と武蔵野美術大学生活文化研究会によるものである。萱野さんのアイヌの民具と国の有形民俗文化財の指定を受ける際に必要とされた図面集である。アイヌの物質文化研究が進むだろう。

クラブツーリズムが二風谷にゆったりプラン4泊5日のツアーを実施する。クラブツーリズムの親会社は近畿日本ツーリストであり、ツーリストの研究機関が宮本常一先生が所長であった日本観光文化研究所であった。ツアー実施決定に際し、この人脈を使った。うまくいってくれてよかった。クラブツーリズムのお客様はいい方達でしょう。二風谷の人達は友達になったらいい。旅人が思い思いの二風谷を楽しんで欲しい。地元も私も力んでいたので肩透かしを食ったようであるが旅を楽しむにはこういうツアーもいいだろう。

二風谷がブレイクしている。フィアット、大和和装、梅田阪急、新宿伊勢丹との取り引きが始まっている。てんてこ舞いである。ゴールデンカムイも好評連載中である。

東京のアイヌはどうしたらよいだろうか?東京のアイヌの人達のことを考える。生活水準を上げるには?会社を作ったらどうだろうか?二風谷の工芸品を始めとするアイヌ文化のモノやコトを企画・販売する東京事務所だ。

京橋杉山ビルに事務所を構えるのも一考だ!果たして採算があうだろうか?毎月100万円売り上げるには?

アイディア次第だろう。裾野を東京アイヌ全体に広げ工芸品の制作を行ない賃金を得ることを始めとし、東京を拠点にデザイン・企画・プロデュース、イベント北海道物産販売なんでもやる。アイヌ関係はすべてここを通す。総代理店である。人材がいなければ慶大生に手伝ってもらおう。

会社名は(株)アイヌモシリでは?文化創造カンパニーである。文化で食えるだろう。

②在日韓国朝鮮人問題、裁判、殺人未遂

バブル期に地上げに遭い嫌がらせを散々された。これを逆手に取り、嫌がらせの正体を探ると社会の闇が現れた。その原因である差別解消を目指す。社会の闇の原因である民族的、歴史的、などの差異を越えて信じ合えるやさしい社会を作るために、悪いことは悪いと認め、当事者間が社会的存在になり、お互いを認識し互いの立場を理解することで差別はなくなる

第一勧業銀行銀行と商工中金はこの30年、不正を繰り返している。バブル期には先頭を切って地上げ屋に過剰融資をし 、地価高騰の元凶となり、庶民のマイホームの夢を奪い去った。 金融国家を目指すべく金融資本の暴走を画策し、日本の進路を誤らせた。 総会屋に対する反社会的融資も問題になった。 2回のATM不祥事 そして今回の暴力団組員への反社会的融資である。 私達家族はみずほ銀行(当時第一勧業銀行)により苦渋を舐めさせられた。当時、京橋はバブル発祥の地とされ、満井忠夫(済州島出身、逮捕留置中)率いる三正による執拗なまでの地上げがおこなわれていた 。父親は就寝中にガラスを割られ頭を狙われ命を狙われた。犯人を捕まえ逮捕した。この殺人地上げ屋に最も融資を行っていたのが第一勧業銀行麹町支店である。私は地上げ屋が所有する土地を一筆一筆調べ、法務局に行き登記簿謄本により抵当権を友人とともに調べ、集計した。最融資元が第一勧業銀行麹町支店だった。友人は第一勧業銀行麹町支店に出向き、融資を閉めるよう抗議に行ったが、支店長は面会を拒絶した。その後、第w)€ョ豐・閥箙垤軣・拇垢惑兩笋箸覆辰拭・・€凾タ地上げにあって20年たって解決した。地裁でインチキ弁護士にひっかかり敗訴、高裁でさくら共同法律事務所の弁護で逆転勝訴、最高裁判所の判決がでるまで7年かかった。地上げ屋への銀行融資額集計リストを地裁判決の記者会見で発表すると翌日には株価が暴落した。バブルをはじいてやった。 渋沢栄一、渋沢敬三が道をつけた日本資本主義は、着実な道を歩む。

③15年間かけたタクシー業界正常化、若い人の未来

山の手線内を15年間歩いた。大手町2年半、銀座の飲み屋街2年半である。タクシー7~8台に待ち伏せされて後をつけられた。税務大学校前での事である。そうやって気付かせ、東京無線タクシーすべてを敵に見せ、精神衰弱を誘うのだろう。私には在日韓国朝鮮人にたいする差別意識はなかったのでなんでもなかった。こんな事をやってるから差別されるんだろうと思った。同時に差別解消にはこれをやめなければならないと考えた。これをやめれば差別がなくなるとも。日本交通の品川と千住営業所やkm交通の千住、浅草の営業所にも立ち黄色を見せた。4度5度と。殺人不動産業者満井忠夫は罰せられたので気にならなかった。タクシー業界は正常化してきている。日本交通、km、東京無線などが心を合わせているみんな喜んでいるだろう。差別がなくなるのだから。今度は日本国が一歩踏み出さなければない。タクシー業界のために知恵を出し合っている。警察と協力してハザードランプの黄色の衣服を着てパトロールを続け指導する。さらに運送、タクシー会社に反省を求め、許し、その上に立って慈悲の心により差別の根絶を図る。

若い人の仕事を考える。食品関係を大きくしたらどうだろうか?_喫茶店やレストランで務めているのを見かける。経営者になる人もいるだろう。もっと大きくして成城石井のような食品スーパーやオイシックスのような野菜通販やレストラン,喫茶店経営を連結させ生産から販売、消費までを扱う食品会社はどうだろうか?。食品をホーリスティックに扱う企業を興すのである。起業しろ!勘が働くのではないかな?ロッテのような仲間もいるし、散らばっている仲間の知恵を集める。力を結集できるだろう。目標を高く持って、おいしいものを食べて舌を鍛えておけ!キャリアを積んでおこう!

ロッテは若い人のために会社を開放し、インターンシップを利用して若い人のキャリアアップをはかれ!同胞だろう!

④銀座の飲み 屋街の闇

西五番街通、を入り最初に銀座の 入り口のバー、ロートレックの黒服にチェックを入れる。一方通行を逆行して一定方向に並木通り、金春通りを抜け、元に戻るのを繰り返す。10時半ごろから朝2時半ごろまで黄色を着て歩くのである。ノンストップである。2年半の間、土日を除く毎日歩いた。1時になるとタクシーが列をなして入ってくる。白タクも止まっている。タクシー運転手に黄色を見せるのである。チェッカー無線タクシーを見かけると勇気が出てきた。国税庁が銀座の女王と呼ばれるバーのマダムを摘発した。銀座の闇のネットワークが寸断された。光は銀座からである。ロートレックも廃業になった。

若い人へ   夜の銀座の午前3時のバックアップ

銀座を歩いて2年半後出合いいがしらに猛スピードのバンにはねられそうになった。あの瞬間を見てくれた2人、元気ですか?君達がいなければ、もう少しで犬死でした。ありがとう!幸せな結婚をしてくださいね。銀座通りであいましたね。俯き加減の彼女、元気ですか?全然眠くなさそうだった彼も元気ですか?_おかげさまで僕はご存じの通り元気にやっています。警察をさらに信用しています。Gメンもがんばれ!心して行け!! また、どっかで会いましょう。昼の銀座がいいかな!

やってよかった!!

⑤汚物佐川急便45年間の追撃、黒幕・日本経済新聞・西武スキャンダル

佐川急便に45年間つきまとわれている。日曜日を除く営業時間中毎日である。25年間我が家の前のパーキングに停めた。その後ギャラリーの前にも停めている。8年間である。店の中を覗く、睨みつける、注意すると佐川急便の運転手松本は殴る、10数回蹴られた。伊藤は台車をぶつけた。傷害罪である。これに対し45億円の損害請求、慰謝料請求訴訟を準備中である。日通も西濃もよくなった。運輸業界は正常化してきているが残る粗大ゴミは佐川急便である。警察は佐川急便の悪事の裏を取っている。日本経済新聞と西武が黒幕と言っている。刑法違反の暴対法違反と共謀罪法違反である。起訴する。組織的犯罪者集団であり、元暴力団員を雇い、45年間つきまといを続けている。女性も狙っている。中目黒銀座のマンションの前で女性の帰りを待ち伏せするようにトラックを停めるのを何回も警備した。飯田橋ケンブリッジイングリッシュスクールに通う学生の個人情報をスクールを脅かし譲り受けていた。私は受け渡し現場を目撃し、ドライバーも職員も識別できる。生き証人である。東証は、上場を認めれば佐川急便と同罪になり社会、警察の恨みを買うぞ。東証にも倫理感はあるだろうな日経平均が下がるぞ。木曽福島で3回、高山市朝日村で1回、越後湯沢で1回佐川のトラックに付け回された。電車に乗って私立探偵が尾行するのである。 

佐川急便を社会から消し去る。私は45年間、佐川急便と向かい合っている。佐川の張り番である。付きまといも受けている。ここ2~3年は毎日のように昼休みになると来襲して来る佐川急便の5~6台の車にスクランブルをかけている。車道を黄色を着て歩くのである。佐川急便の車番を取り、顔と名前を覚え、相手の体調までわかる。定点、定時捜査である。車道を歩いていて佐川急便にはねられそうになったこともある。「はねるぞ!」と威嚇されている。

⑥山村振興

山村は陰の場所である。しかし、国土の70%は山間地である。この有効利用が日本の命運を左右する。対象地である岐阜県高山市高根町日和田地区は隔絶山村であり、人口は200人弱の限界集落である。古くからのわらび粉生産の伝統産業もすたれ、文化だけでなくコミュニティも衰退しつつある。

本事業は、過去において貴重な現金収入源であり、重要民俗であったわらび粉とわらび縄の復活を中心に、牧野という山地利用の一形態を追及し、そこに展開される文化の価値と生産の価値の両者を合わせ持った高収入源の特産品を、町民の所得向上と山村文化問題の解決をはかる目的で、都市が望む本物を生む山村という新しい価値を創出することにより、山村と都市の本物欠如の脆弱性の打破につなげ、山間地の有効利用の施策の策定を目的とする。

日和田地区は日本全国の山村と同様に人口減と高齢化によって限界集落になっている。産業は、土地が狭小であり標高1300m前後で稲作は困難である。そのため、収入源は限られ、畑作では狭小な土地で飛騨ホウレンソウ、高根コーンの高冷地野菜と稗や火畑蕎麦などの雑穀を生産している。その中にあって、日和田地区では1000年の歴史ある放牧地で展開されていた日本の農耕の起源を示唆するわらび粉生産が細々と継承されている。わらび粉は昭和時代は高価に取り引きされてきたが今はすたれてしまい、復活を試みているところである。わらび粉生産を高冷地野菜栽培とともに主産業にするもくろみである。一般には本物のわらび粉生産がなくなり、純粋なわらび粉が使用されていない、まがい物が広くでまわり、わらび粉を使用した食文化が失われている。そのような中で一部の高級料理店や和菓子店では本物のわらび粉を使用した料理などが提供され食文化の復活が図られてきている。食材としての本物のわらび粉が求められているが、提供できる生産者は極めて少ない。飛騨のわらび粉は本物生産をめざして、伝統的な本物のわらび粉の生産の文化(技法や工程、繁殖方法)を復活させ安定供給を図る。古くから御所や二条城、修学院離宮の垣縄として利用されてきたわらび縄は、全国の山村で生産されていたがすたれ、文化財の修復に困難をきたしている。わらび縄の供給を増やさなければならない。わらび縄の製縄術は日和田が日本最後の伝承地である。これを継承し、利用を促進することにより収益となる。また、わらび糊にも利用され国宝の古い日本画の修復などにも使われる。国の宝である文化財保護につながり町民の誇りとなり、山村の山地の有効利用につなげ全国の山村振興を促進する。

山村の荒廃は文明の危機である。文明の興亡は山利用とのバランスにかかっている。その復活は、わらび粉にみられるように、文化の探究から生み出される本物の価値を広く普及させることであり、学問の社会化と新しい価値を生み出すことにある。山村と都市の結びつきのなかで、本物の価値欠如による脆弱性を打破し、文化の探求による、本物の産出という山村の新しい価値を生み出すことは、両者の相互依存を密にし、そのことは、 脆弱な、都市文明と山村になっていくなかにあって、山村と都市の両者を同時に成り立たせる方策となる。本物の価値の追求は山村と都市の重大課題である。このままでは山村が見捨てられ都市も衰退する。学問による文化の多様性の追求が山村という新しい価値を生みだし、それが、都市を支え文明を生み育てるという観点に立ち、文明の難題を解決する。

杉山是清

 山村振興の計画書 —山村という新たな価値—

日本の歴史上の希少価値生業民俗であるわらび根掘りの調査、復活、保存、活用、継承に人類学者生命をかけている。私がやらなければやるものがいない。使命である。こんな貴重な民俗はない。

実践という文言を使い、民俗の活用・継承に意を払うならば単なる学問の範疇だけでなく、実業の世界に踏み出さなければならない。人類学に留まっていれば活用・継承には至らない。営業もやれということである。実業の世界と学問の世界を繋ぐ学問が実践民俗学である。消えゆく民俗を手をこまねいて感傷に耽って見てる場合ではない。人類学者ならなんでもやれ!お金が必要であれば基金をつくったらどうだろうか?

人類学者として調査をやりその民俗を熟知し、プライドが生まれれば営業しても相手が話しを聞いてくれる。学問で養った誠実さと粘り強さである。また、人類学は歩く学問である。貴重な民俗継承のためだと思うと歩くことも営業や各種試算も苦にならなかった。学問的価値がわからないと力が湧かなかっただろう。これがエネルギーとなっているのでなんでもできる。プロジェクト全体を動かすことは私にしかできないかもしれない。

村人は営業をとって来たことをことの他喜んだ。村が湧いた。これが村の力になるんだと思った。誰もがああすればいい、こうすればいいという。でもこの一歩を踏み出すのが仕事だった。3つも営業を取った時、私も村人もプロジェクト成功の第一歩を踏みだしたと確信した。

新たな価値となる山村は、文化の掘り起こしと活用により山村の新しい価値を生み、文明の危機である森林資源の荒廃による、山村の経済の脆弱性と都市の脆弱性の両者を文化の掘り起こしにより森林草原の有効利用をはかることによって救い、生態系サービスの草原の再活用による在来知のわらび粉生産とわらび縄生産による経済達成とコモンズの醸成により新しい価値を生みだす。 経済の独立とコミュニティの強化は社会の自立性を高め地方自治の根本になり、、これによって小単位でかつ高価値ゆえの高価値・高濃度となり、地方自治の一単位である山村が新しい価値になり、この結果、コミュニティとしてお互いを支え合うことでこれらは、社会保障問題も解決できるというモデルケースとなるだろう。 Ⅰ.    目的 日本の国土の70%は山間地である 。山村はその機能保全の役割を担ってきた。しかし、今、山村の疲弊が急速に進み山間地は機能不全に陥いりつつある。本計画は、国土の有効利用を図るため、山村における放棄された中世以来の伝統ある共有牧野の有効活用による生態系サービスの回復を通して在来知であるわらび粉生産の復活をはかり、産業の振興という生活基盤の安定化と、共有地ゆえの地域住民レベルでの資源保全の有効な手法として,または地域共同体(コミュニティ)のあり方そのものとして、これらのコモンズを通した産業の振興と共有牧野の管理利用を村落共同体強化という物心両面にわたった活性化に基づいた自立的社会保障の萌芽を目指すことによって山村の危機を救い、しいては国土の保全を計るというものである。    対象地域となる岐阜県高山市高根町日和田は高山市街から50分の距離にあり、御嶽山の標高1300mの隔絶山村である。調査地点は、日和田から30分の距離御嶽山の標高1500mの高地高原のオバコ牧場である。    本計画は調査、実践からなる。 調査活動において杉山らは、大学、大学院時代に宮本常一先生、川喜田二郎先生の指導、薫陶を得て、かつ安家プロジェクト岩手県岩泉町安家、北上プロジェクト岩手県遠野市附馬牛町の調査を行なった。いずれも山村活性化のための調査であり、杉山の調査結果は筑波大学修士課程環境科学研究科修士論文にまとめられている。また、90日間をかけ原付に乗り3500kmを走破して西日本の山村においてワラビ粉生産と山村生活調査を行っている。        飛騨地方のワラビ粉調査は、遠野市附馬牛町の調査で飢饉の時に救慌食として利用されたワラビ粉の生産力に注目して、実際ワラビ根採取を行っているフィールドを探し出した。そして5年に渡り飛騨地方のワラビ根堀の調査を行ない、1990年度   第4回  日本民具学会研究奨励賞受賞「ワラビの地下茎採取活動」(『民具マンスリー』第22巻7・8・9号、1989所収)にまとめた。日本における農耕の起源を示唆する貴重な民俗であることが判明した。しかしその後、生産者の跡継ぎがおらず、生産が途絶えてしまい、学問の限界を知り、今、村人と共にワラビ粉生産の復活に乗り出している。民俗文化復活と地域活性化の試みである 。    実践の活動は、現在、現地のNPO法人に加わり、ワラビ粉生産を立ち上げ一昨年10kg、昨年35kgのワラビ粉を生産した。活性化の核にする試みである。このことは、『民具マンスリー』「実践民俗学ー民俗文化復活の現代的意味ー」48巻5号に詳しい。学問と実社会の垣根を取り払い学問の社会化を目指す。民俗文化復活のために学者が営業をやるのである。また、ワラビ粉生産という農耕の起源の証左となる貴重な民俗は、在来知の再評価を生み、貴重さゆえ、高収益による経済価値を生むのである。    その目的は、中世以来の林地と化した牧場の伐採による再生整備は、60haのワラビ草原の実験圃場をつくりワラビ粉生産の可能性を研究するためその労力、費用、諸経費として計上する。また、野草と牧草とワラビを混植した植生の牧場を生み出し、わらび粉と飛騨牛の生産を可能にするものであると同時にワラビ摘み、蜂蜜採取、薬草採取などの多機能の利用を通して山地における生活文化の振興と、生態系サービスという新たな生態系機能の回復をもたらすことである。    縄文期からの日本の農耕の起源を示す貴重な民俗であり在来知のわらび粉生産の復活は、その貴重さゆえに飛騨における文化価値の上昇をもたらし、高価であるため高収益をもたらす現金収入源となり、山地を利用した第一次産業活性化による山村活性化の核にすることを目的とする。雇用者の年間収入の15%~20%増加と4~5人の短期新規雇用を目指す。製縄者に対しては4000円前後の日当を支払う。   また、出資者に対し配当金を配り、多くの出資者を集めることによって村落全体の所得向上を図る。これらを支えるためわらび粉生産を拡大、安定化させるため林地の伐採によるわらび植生増加のためのオバコ牧場の再生が必要となる。これと平行して営業や通販によって飛騨のわらび粉の周知と販路の拡大をはかる。    コモンズである共有地ゆえの経営や管理の共同化は、村落共同体を強固なものにし、コミュニティを活性化させる。 「飛騨わらび」などの生産する組合などを設立し、村内の3軒の企業や村民を株主化する。ワラビ粉販売等の利潤は、積み立てをし、牧場開発や水車小屋、堆肥、その他の共用や村落生活の発展に使う 。牧野の管理は、牧柵作りや肥料撒、見回りなどの共同管理をするなどによって生産の共同性やコミュニティを強化する。   この調査研究の成果を生かし、若者が取り組める施策の研究活動や生産の動きなどの手助けをする山村振興研究所を設立したい。この研究所の生産的、社会的活動は、山村の地域社会に共有され、山村活性化の創出活動の拠点となるだろう。     これらの物心両面にわたる活性化は、その効果により広く村落内に行き渡り村落社会を高揚化させて相互扶助に基づく自立的社会保障の萌芽を醸成させ山村の危機を救うことになりだろう。 Ⅱ.計画・方法 コモンズである260haの共有牧野の整備計画である。生態系サービスである在来知のわらび粉生産、飛騨牛などの第一次産業を振興させ、コミュニティの力を醸成し、コモンズの活性化を通してコミュニティの活性化を狙う。    本計画は2年間でワラビ根の採取地となる圃場をつくることである。現在260haの牧場は樹林地になっており平坦地である60haの実験圃場をつくるために住民参画により切り捨てによる林地伐採し、その後のワラビ粉生産の可能性や植生変化を研究するためその労力、費用、諸経費として計上する。   燃料費と若干の賃金を払う。1ha当たりの作業員数を15人として伐採は10カ年計画とし260haの林地のうち、平坦地60haの伐採を最初の2年で行なう。使う燃料費は60万円になる。人工は6000円×15人×60haで540万円となる。弁当持参、車両の燃料費はプロジェクト側で負担する.チェーンソーは購入するものとする    伐採終了後、ゾーン分けをし、野草、ワラビ、チモシー、ホワイトクローバーそれぞれのゾーンの整備をする。 チモシー10haとホワイトクローバーゾーン10haに播種を行う。わらび、野草、牧草の育成に3~4年を要し、其の間、わらび根採取を始めとする採取活動や牛の放牧は行わない。牛の放牧は、高根町在住の若者の牛を放牧する。放牧による伝染病感染を回避するため、少数の飼養者同志が知り合っている牛を放牧する。  多くの数ではない。     わらび根採取作業を行う。標高1300メートルにある日和田集落から30分かけて軽トラックで牧場に向う。牧場でのわらび根採取作業は、4時間かけて、短期雇用した3人の村人と行う。バックホーを用い唐鍬を使って芝を剥ぐように地下10センチに伸びる地下茎を80kg程掘り取る。枝分かれした根を選別し、地下茎の繁殖部分を後年の繁殖のために埋め戻し、澱粉を蓄えた地下茎を集落まで持ち帰り、水洗し、10kg程に分けて搗く。この搗く工程を3回繰り返す。これが当日の残り4時間の作業である。この採取、加工の作業を計1週間行う。1日4kgのワラビ粉の産出量であるから7日で28㎏となる。このようにして、今後1ヶ月で100kgの生産を目指す。    ワラビ根の加工は、沢に鉄パイプで足場を組み、その上に船2台とこし器を置く。ワラビ根を搗くためにワラビ石を設置する。水はホースで沢から引き、搗いたわらび根の洗浄と澱粉の沈殿に使う 。ランマーで搗いたワラビ根は船で洗い、こし器を通して沈澱させる。   経営は、「飛騨わらび」を生産する組合などを設立し、NPO法人と共同し村内の3軒の企業や村民の株主化を進める。また、わらび粉販売等の利潤の一部は、積み立てをしてNPO法人の監査の元、生産、管理の共同化、村落生活の発展に使う。コモンズ再生の原資となる。    雇用者の年間収入の15%~20%増加と4~5人の短期新規雇用を目指す。製縄者に対しては4000円前後の日当を支払い、また、出資者に対し配当金を配り、多くの出資者を集めることによって村落全体の所得向上を図る。これらを支えるためわらび粉生産は、わらび粉100kgを生産することによって30日間の稼働で一人当たり年間30万~50万の収入増をもたらす計画である。このために販路の拡大を計り、サンプルを持って東京、京都の和菓子屋に営業にまわる。また、引き合いのあるフランスや海外にも進出する。 ネット通販を利用して販売と広告を行う。ホームページを作成し飛騨のわらび粉を周知させ、販売促進やわらび粉を利用した6次産業化に使う。    コモンズである共有地ゆえに経営や管理の共同化によって村落共同体を強固なものにする。コモンズの活性化により日和田全体が一丸となってコミュニティの力を高める計画である。ワラビ粉販売等の利潤は、積み立てをし、牧場開発や水車小屋、堆肥、その他の共用に供する。牧野の管理は、牧柵作りや肥料撒、見回りなどの共同管理をするなどによって生産によるコミュニティを強化する。コモンズの原資となる。    わらび縄をなう会の設立は、在来知による技術の伝承を若い人を交えて行い、また、歴史あるわらび縄は御所、二条城などの皇室関係の文化財の修復に使われるため村人の誇りとなる。    日和田内の村人が経営する蕎麦屋において、国産随一の混ぜ物のない純度100%の飛騨のわらび粉で作ったわらび餅を提供し、日和田でしか食べられない名物とし集客を図る。フランスのフランス料理店が注目している。海外への進出を図る。わらび粉の生産拡大と雇用の拡大につながり、わらび餅の名店に納品することによって文化的には日本本来の和菓子文化を取り戻すことにつなげる。このことを通して高山市の観光価値を高め、コミュニティの核の一つとする。  これらの山村の取り組みの計画に対して地域の人々は様々な関心を呼び起こし社会が相互扶助による信頼により、その努力を手助けするようになり村内の高揚感を高めることにつながり、物心両面にわたる山村コミュニティ維持強化策により自立的な社会保障の萌芽を醸成し山村を救う。 Ⅲ.計画の準備状況 計画の準備段階は5年目である。調査論文にも5年間を費やしているので今回の計画の準備には10年間を費やしている。論文は1990年度   第4回日本民具学会研究奨励賞受賞「ワラビの地下茎採取活動」(『民具マンスリー』第22巻7・8・9号、1989所収)にまとめた。。現在、現地のNPO法人に加わり、実践のための基礎調査に5年を費やし、ワラビ粉生産部長として生産に従事している。村人を3人短期雇用し、NPO法人の事業の一環としておこなっている。このことは、『民具マンスリー』「実践民俗学ー民俗文化復活の現代的意味ー」48巻5号に詳しい 準備段階の3年間は放牧地において小規模の採取しか認められず、荒廃農地にわらびの人工栽培を試みた。人工栽培がうまく繁殖せず、わらび植生確保のため放牧地の採取許可をお願いした。その後4年目、5年目の実施段階において、本格稼働にはまだまだであるが、採取が2年目に入り、4年目に10キロ、5年目に35キロを生産している。東京や京都の和菓子店に営業に行き、販売の実績は東京虎屋、小石川一幸庵、京都蕭月の3軒に納入を決めた。また、フランスのフランチレストランから引き合いがあった。来年の納品になるだろう。本格稼働になるためにはさらなる販路の拡大が必要となる。    また、わらび粉を生産する段階で残る繊維から作れるわらび縄が日和田のわらび縄として宮内庁の御用を賜わろうとしている。 サンプルを納品し京都の業者と価格設定を行なっている。    そのために、わらび植生の不足が課題になっている。この解消のため隣接の共有牧野のオバコ牧場の有効利用によりわらび植生の確保をはかろうとしている。現在、共有地であるため共有牧野の地権者の了解をとっている。 NPO法人Y.I.Kは山村振興活性化のために作られ、全面的支援を受けている。杉山は理事としてNPO法人に加わり、わらび粉生産部長として生産・販売の前面に出て全権を担なっている。 このチームのメンバーには高山市元基盤整備課長が参加し、山村振興に加わっている。 日和田の雇用者は、これらの動きにより年間収入を10万円~20万円増やしつつあり、短期雇用を3人増やした。若者の参入も呼びこんでいる。わらび粉やわらび縄の社会的価値が高まることによって村人は誇りをとりもどしつつある。 これらを確固たるものにしたい。 本計画は川喜田二郎(1980)の安家プロジェクト「生態系把握と住民参画に基づく山岳諸地域の活性化に関する比較研究  」を元に山村における活性化研究をより実践面に重きをおいている。 Ⅳ.期待される成果    牧場の整備による植生から生み出される、生態系サービスであるわらび、野草、牧草は圃場の調査結果からワラビ粉、飛騨牛、ワラビ摘み、蜂蜜、薬草などを生み中世からの牧野の生態系機能回復による生態系サービスの回復が予想される。これは山村の生態史における文化復元を意味し、こうして眠れる牧野の生産性や文化的価値を輝かせ、山村の価値を向上させる。    現在の採取地において、わらび粉100kgを生産する30日間の稼働で一人当たり年間30万~50万の収入増になる。200kgの生産量となれば倍額の収入増になる 。複合経営であるため短期雇用であるが集落内に5人以上の雇用を確保できるだろう。将来的に、わらび粉生産に関してオバコ牧場のコモンズの再生が進めば一層の収入増と雇用増加が見込める。地産地消の六次産業化とあいまって第一次産業が振興するだろう。また、文化の掘り起こしによって確認された、わらび縄の製縄による収入は、文化財利用が正式に認められれば、オバコ牧場の再生が進むことによってわらび縄の製縄量も増え収益も増える。御所、二条城など神社仏閣庭園などの文化財保存も進む。かけがいのない国家の宝を増加させる。    本研究で生産されたわらび粉は、高級品として取り引きされており和菓子として多くの消費者に親しまれるだろう。高山市のあらたな価値を高めることになる。赤坂虎屋は、飛騨のわらび粉が手に入らず、黒色のまがい物のわらび粉を使うわらび餅の生産を取りやめにしている。本物が求められている。日本各地の和菓子屋さんに売り込みができ、消費者の心をつかめる。日和田のわらび粉を使ったわらび餅は、世界的観光地高山市の日本文化を代表する銘菓になり、中世以来の牧場の生産物ということもあいまって高山の観光名物となろう。日和田の人の誇りとなろう。在来知である日本の伝統を受け継ぐ本当のわらび粉をコモンズの再生活性化によって生産し、日本の和菓子文化を取り戻す。    コモンズ再生、在来知の伝承、生態系サービスこれらから、 牧場再生とわらび粉生産、わらび餅、わらび縄製縄の一連の取り組みがコミュニティの維持醸成をもたらす。牧場再生の共同作業、共同管理、わらび粉生産の共同作業、組合の設立の出資金と配当金、わらび餅制作の試行錯誤は、村内に広く行き渡り、今まで述べてきたようにコミュニティ醸成に役立つ。  わらび縄をなう会を設立し製縄技術の伝承知の継承を若い人を交えて行う。皇室関係の文化財の修復に使われるため村人の誇りとなる。     日和田内の村人が経営する蕎麦屋において、国産随一の混ぜ物のない純度100%の飛騨のわらび粉で作ったわらび餅を提供し、高根でしか食べられない銘菓とし集客を図っている。依頼のあったフランスなどのフランス料理店に納品し、世界的に日本の伝統文化食品として売り出す。これによってわらび粉の生産拡大と雇用の拡大となり、日和田において6次産業化が進み一連の取り組みは地域コミュニティの核となる。    学問と実業の世界との溝が埋まり文化の掘り起こしが進むだろう。わらび粉もわらび縄も縄文期からの貴重な民俗技術の所産である。小さな消え行く民俗に光をあて実社会に投影することによってその価値を輝かせなければならない。民俗文化を掘り起こすことと、実社会に投影することの両者が必要になろう。 民俗文化の掘り起こしは旧来の学問でいい。そこから目をつけた事象を学問と実業の世界を結ぶ実践の学問の対象にしなければならない。学問の成果にヒントがあるからここから展開する。電話もし、手紙を書き、サンプルを持ってお邪魔してお勧めするのである。営業である。学者が営業までやるのである。地域振興のために。学問の出番である。    こうした活動が、山村の取り組みに対して地域の人々は様々な関心をだき、社会が相互扶助による信頼により、その努力を手助けするようになり自立的な社会保障の萌芽を醸成し山村を救うだろう。これによって、文化生態系機能の回復をもたらし、荒れた山地の再活用のモデルとなり、山村振興研究所の広報活動を通して全国の疲弊する山村に普及し物心両面にわたる活性化のモデルとなろう。この過程で文化の掘り起こしが進み文化の価値が発掘され、日本の文化振興にもつながる。   以上のような地域ごとの小さな取り組みの積み重ねが、全国の人口減克服や山村の生産性向上につながるであろうこと、しいては日本の国土保全につながることを期待している。

 

ノーベル平和賞ノミネート人類学者

杉山是清